2010 8月15(日)
とても良いお話を教えて頂いたので、紹介いたします。
主人公は60歳の高校教師。彼は元プロ野球選手だった。
彼の名は高畠導宏。
高畠さんは、社会人ナンバー1のバッターとしてプロ野球チームに入団。
将来を嘱望されたが、故障に襲われ28歳で現役を引退する。
その後、高畠さんは打撃コーチとして才能を開花させる。
彼の教え子は、三冠王を取った落合選手(現中日監督)からソフトバンクの小久保選手、メジャーリーガーの田口選手、そしてイチロー選手まで、超一流の選手が名を連ねる。
約30年間、熱血コーチとして7球団を渡り歩いた高畠さんは、50代半ばで一念発起、高校教師になるために通信教育を受ける。
その後、5年かかって教員免許を取得し、59歳の時、福岡の高校に赴任する。
以下は、高畠さんの生徒たちへの最初の挨拶である。
「高畠導宏です。59歳の新人です。
私は教師になりたい、という夢を持っていました。
コーチは選手を育てます。教師は生徒を育てます。
夢を持って突き進めば、あきらめずやっていけば、夢は達成できるものです。
私はプロ野球ときっぱりと縁を切って、ここで骨を埋める覚悟で君たちと一緒にやっていきます。
みなさんの将来の糸口を探す手助けをするために、命をかけてバックアップさせてもらいたいと思います」
赴任後の高畠先生の熱血指導ぶりは、すばらしかった。
無気力な生徒たちが、日に日に活力があふれるようになった。
しかし、それから1年後、高畠さんは癌に侵される。
末期癌で余命わずかと宣告されるのだ。
それでも教壇に立ち続ける高畠さんだったが、とうとうドクターストップがかかる。
そして最後の授業が始まる。
高畠先生は、黒板に大きく「気力」と書き記した。
「人間の価値は、生きていることにある。
そして人生をより豊かに有意義にするためのバックボーンが「気力」である。
「気力」を作るには燃えるような熱意を持つことだ。
「気力」を持って、きょう一日を精一杯生きよう」
その授業は今でも生徒たちの心に鮮烈な記憶として残っているそうだ。
最後の授業を終え、教室から出て行こうとする高畠先生に、生徒たちが励ましの手紙を持って駆け寄った。
「先生、先生」とみな泣いていた。
「大丈夫やから・・・なぁ、みんな大丈夫やから・・・絶対に返ってくるから」と高畠さんは生徒たちの肩を抱きながらいった。
それから、まもなく高畠導宏さんは亡くなった。
激痛の治療に耐え、最後まで弱音をはかず、癌と闘ったそうだ。
息を引き取る寸前、高畠さんのお兄さんが病床の弟に語りかけた。
「導宏っ、お前はなぁ、兄ちゃんの誇りじゃ。よう頑張ったなぁ。お前は頑張りすぎたんじゃ。もうえい、もうえいぞ。ゆっくり休めよ。
お前はほんまに兄ちゃんの誇りじゃぁ・・・」
高畠さんの棺には、赴任した高校の野球部のユニフォームが入れられた。
高校の教師になり、子供たちに野球を教えて全国制覇する。
それが、彼の夢だったのだ。
没後、高畠さんに一篇の詩が捧げられた。
「もし私が一人の心を傷心から救ってやることができるなら私の生きることは無駄ではないだろう
もし私が一つの生命の悩みを慰めることができるなら
あるいは一つの苦痛をさますことができるなら
あるいは一羽の弱っている駒鳥を助けてその巣の中に再び戻してやることができるなら
私は無駄に生きてはいないのだろう」 エミリーディッキンスン