2009 11月15日
「豊かさがあれば、叱り方も違う」
この話は、あるお坊さんのお説法の中に出てきた話で、
ある奥さんが娘さんを見ていて、気がついたことを書いた話です。
ある日の夕方、主人が入浴している風呂場に娘のめぐみが入って行き、 運動靴を洗おうとしておりました。
その靴というのは、その朝おばあちゃんが一生懸命洗ってくれた靴だったのです。
でも、おばあちゃんの力が弱くて、きれいになっていなかったんです。
それが不満で、娘のめぐみがもう一度、洗いなおしをしようとした。
「ばあちゃんが洗ったのなんか、少しも汚れが落ちていない。
もう一度洗わないといかん」と言って。プリプリして洗い始めた。
そして、その話を聞いていたお母さんは「だったらなぜ、自分の気に入るように
洗わないの?人のした事が気に入らないなら、自分でしなさい、
あんたが横着なんだ」と言って大きな声で娘を叱ったそうです。
ところが風呂場に入っていたお父さんは、全然叱り方が違ったそうです。
「めぐみちゃん、せっかくおばあちゃんが、お前を思って洗ってくれたのに、
きれいになっていないからと言って、一度もはかないですぐ洗っちゃうのは
いかんよ。」「二日でも三日でもはいてからにしなさい。おばあちゃんがどんなに
気を悪くするか、お前でもせっかく洗ってくれたものを、一度もはかないで洗われて
ごらん、どんな気がする?まして年をとったおばあちゃんが、洗ってくれたのだから、
ありがとうと言って、二〜三日履いてからにしなさい。 そうすれば、おばあちゃんだって気持ちがいいはずだ。」
「おばあちゃんに、年をとったから、靴も満足に洗えなくなったと、思わせては
いかん。落胆させてはいけない。めぐみ、おばあちゃんが、あんたの靴を洗って
くれるなんて、よくよくあんたがかわいいからだよ。本当ならあんたが年をとった
おばあちゃんの仕事を手伝ってあげるのが、人間の道じゃないかな?
それをおばあちゃんが洗ってくれたものが、気に入らないからと言って、
洗い直しをするなんて、まるで当てつけみたいなものじゃないかな?
人間の行為はありがとうと素直に受け止めるものだよ」とお父さんは 言われたそうです。
それを聞いた、めぐみちゃんは泣きながらうなづいて、風呂場から出て行った そうです。
私は、このお父さんも豊かな気持ちを持っておられるから、こういう叱り方が
できるんだと思います。お父さんの中に、ゆとりと言うか豊かさがあるから、
素晴らしい親子関係を作っていくことが出来るんだと思います。
こういう出会いは、我々の日々の生活の中で、あっているんですけど、
その出会いを今、大切にすることが、なかなかできなくなっている。
人からいい出会いをほしがるばかりで、自分が何をできるかということを
本当に考える機会がいま少なくなってきたな〜と思います。